非業の死を遂げた吉原遊女の霊を慰める「玉菊燈籠」とは?その始まりを紹介!【大河べらぼう】:2ページ目
大酒が過ぎて生命を落とす
玉菊は誰に対しても気さくに分け隔てなく接し、お客を断るにしても手厳しく振るようなことはなく、また歎ヶ敷(なげかわしき)心も起こさず真面目に勤めあげました。
そんな玉菊でしたが、彼女は大酒呑みとしても知られ、彼女を描く美人画はたいてい酒盃などが描き添えられています。
やはり吉原遊郭での暮らしにストレスが溜まっていたのでしょうか、20歳となった享保6年(1721年)、重病に伏せってしまいました。
この時は何とか平癒したものの、その後も酒はやめられなかったようで、享保11年(1726年)3月29日に25歳の若さで世を去ってしまったのです。
かくして浅草光感寺(東京都台東区松が谷)に葬られた玉菊。彼女のために袖を絞らぬ者はありませんでした。
