”やりがい搾取”は昔から?江戸時代の作家たち、なんと原稿料はほぼゼロ円だった!【大河べらぼう】:3ページ目
終わりに
……草双紙(くさぞうし)の最も流行を極めしものは天明年間(1781~1789年)に売り出したる喜三二(きさんじ。平沢常富)が『文武二道万石通(ぶんぶにどうまんごくどおり)』、春町(はるまち。恋川春町)が『鸚鵡返し文武の二道(おうむがえしぶんぶのにどう)』、および参和(さんな。唐来参和)が『天下一面鏡の梅鉢(てんかいちめん、かがみのうめばち)』の黄表紙にて、発兌(はつだ)の当日は版元鶴屋(つるや。鶴屋喜右衛門)の門前に購客山の如く、引きも切らざりしかば製本の暇(いとま)さへなく摺り上げしばかりの乾きもせざる本に表紙と綴系(とじいと)とを添へて売り渡せり。 草双紙が如何(いか)に流行せしかを見るに足るもの有らん。然るに書肆(しょし)の作者に酬(むく)ゆることは極めて薄く、ただ年始歳暮に錦絵(にしきえ)絵草紙(えぞうし)などを贈るに止まり、別に原稿料として作者に酬ゆることはなかりしなり。たまたま当たり作あるも、其の作者を上客となし画工彫刻師等を伴い遊里に聘(へい)してこれを饗応するにあらされば、絹一匹または縮緬(ちりめん)一反を贈り以て其の労に酬ゆるに過ぎず、未熱の作者に至りては入銀とて二分(にぶ)ないし三分(さんぶ)を草稿に添へて而(しこう)して書肆な出版を請ふものあるに至れり。されば当時の作者は皆他に生計の道を立てて戯作(げさく)は真の慰みものとなせしなり……
※双木園主人 編述『江戸時代戯曲小説通志』より
とまぁこんな具合に板元から搾取されていた戯作者たちですが、彼らにもまったくメリットがなかった訳ではありません。
大手の板元から出た本に自分の作品が載れば、それが宣伝になりました。
それでも割がいいとは言えなさそうでさが、それでも書きたいのが作家という生き物なのかも知れませんね。
ちなみに今回は鶴屋だけでしたが、我らが蔦重も、こんな感じで戯作者たちをやりがい搾取?していたのでしょうか。
戯作者たちの原稿料や収入など、仕事事情についても知りたいですね!
※参考文献:
- 双木園主人 編述『江戸時代戯曲小説通志 前篇』弘文社、1927年
