なぜ日本は「憲法」を変えたのか?明治憲法から日本国憲法への変遷とその影響【前編】:2ページ目
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大日本帝国憲法の制定とその内容
憲法の制定にあたって、政府は伊藤博文を中心に代表団をヨーロッパに派遣し、各国の制度を学ばせました。帰国後、伊藤は憲法草案をまとめ、1889年に「大日本帝国憲法」が発布されました。これは日本で初めての本格的な憲法であり、近代国家としての基盤を作る重要な一歩となりました。
では、大日本帝国憲法の特徴とは何だったのでしょうか?
天皇がすべての権力を持つ
大日本帝国憲法では、天皇が国の元首として、絶対的な権力を持つことが定められました。軍の指揮、法律の制定、政府の任命など、あらゆる決定権は天皇にありました。
国民の権利は「法律の範囲内」でのみ認められる
言論の自由、集会の自由などの権利は認められましたが、それは「法律の範囲内でのみ」という条件付きでした。つまり、政府が「この権利は制限する」と決めれば、自由は簡単に奪われる可能性があったのです。
議会(帝国議会)は存在したが、権限は限定的
帝国議会が設置され、国民の代表が政治に関与できる仕組みは整えられました。しかし、議会の決定は政府や天皇の意向に大きく左右され、議会が政府の政策を大きく変えることは難しかったのです。
このように、大日本帝国憲法は「天皇を中心に据えた強い国家体制」を確立するために作られました。しかし、この統治の仕組みが、後に問題を引き起こすことになります。
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なぜ日本は「憲法」を変えたのか?明治憲法から日本国憲法への変遷とその影響【後編】
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参考文献
- 坂野潤治 『明治憲法体制の確立』 (1971 東京大学出版会)
- 竹内重年『よくわかる日本国憲法』(2003 レグルス文庫)
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