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江戸時代の貨幣計算のややこしさに驚け!当時はなぜ「両替商」が経済に不可欠だったのか?

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ややこしい計量・計算

もっとも、いちいち計量するのは手間がかかるので、ある程度まとまった金額を両替商に持ち込み、紙で包んで金額を墨書して封印を押すと、両替商の信用によって中身を確認しなくても通用していたようです。

これは、常是包とか包銀と呼ばれました。

のちに銀貨にも金額が一定している計数貨幣が登場しますが、いちいち数える手間をはぶくため、一定の金額をまとめた計数貨幣の包銀もさかんに流通しました。

現代で言えば封緘をした札束や、五十枚ひと組でビニールに包まれた小銭のようなものかも知れません。

ちなみに、金貨を包んだ後藤包とか包金と呼ばれるものもありました。

また、この時代の金・銀・銭の三貨は、つねに相場が変動していました。そのため、まとまった金額の取り引きの場合は、両替のタイミングによっては利益や損失が多額になることがありました。

江戸時代初期には金1両=銀50匁=銭4,000文だった公定の相場が、18世紀はじめの元禄年間には、金1両=銀60匁=銭4,000文となっています。

このように、貨幣の品質や供給量により、相場は毎日のように変動していたのです。そのややこしい計算をしていたのが両替商でした。

3ページ目 あの言葉とあの地図記号の由来

 

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