死者約14,700名…【大河べらぼう】第1話で発生した「明和の大火」実際の犯人の末路、被害状況を解説:3ページ目
明和の大火・関連略年表
明和9年(1772年)
【火災ここから】
2月29日 昼過ぎに目黒・大円寺より出火
同日 一度鎮火するが、宵に再出火
2月30日 昼ごろ再度鎮火する
3月1日 午前中に3度目の出火
同日中に鎮火か?
【火災ここまで】
4月ごろ 真秀が捕らわれる
6月21日 真秀が小塚原で火刑に処される
10月15日 長谷川宣雄が京都西町奉行に栄転する
11月15日 長谷川宣雄が従五位下・備中守に叙任される
11月16日 元号が明和から安永に改元される
終わりに
今回は明和の大火について、駆け足で紹介してきました。
江戸の三大大火に数えられるだけあって、凄まじい被害でしたね。
ちなみに大河ドラマでは蔦屋重三郎が九郎助稲荷(くろすけいなり)のお社を背負い、狐(神使)をお歯黒溝(おはぐろどぶ)に沈めていましたが、恐らく大河ドラマの創作と思われます。
※狐を沈めるついでに、お社も沈めておけば避難しやすかっただろうに……今さら野暮は言いません。
これからも蔦屋重三郎が駆け抜けた時代の、様々な事件を紹介していきます!
※参考文献:
- 『蔦屋重三郎とその時代』ダイアマガジン、2024年12月
