大将の討死、敗走、殲滅…戦国時代、合戦の勝敗はどのように決められていたのか?判断基準を紹介:2ページ目
基準はさまざま
また、もう一つの数少ないケースとして、どちらかの軍勢が一方的に殲滅されて勝敗がついたケースもあります。
大友軍が島津軍に追い込まれ、耳川の激流に呑まれた耳川の合戦がこれにあたります。
ここまでは勝敗がわかりやすいケースですが、他にも、どちらが優勢というわけでもなく、両軍が適当なところで引き上げたという戦いも少なくありません。
こうした合戦の場合は、お互いの軍が「勝ったのはわが軍である」と宣伝していました。今で言う(言わないですが)大本営発表みたいなものでしょうか。
大本営発表であれなんであれ、より宣伝上手だった方が兵や民の心を掴むことができたのは、戦国時代も同じだったようです。
実際、そうやって人心を掌握できた武将の方が、最終的な勝者となることも少なくありませんでした。