三英傑が同地域出身なのは必然!?なぜ戦国時代の覇者はそろって「東海地方」から生まれたのか?:2ページ目
なぜ上杉・島津は天下統一に手が届かなかったか
京都により近い地域にも有力武将はいました。ところが、彼らは天下をとることはできなかったのです。
その理由は、都に近すぎたために、足利幕府や朝廷の無力さを知りすぎていたことがあげられます。
つまり、朝廷や幕府の権威を借りて天下をとるという発想に至らなかったのです。
また、都に近い地域では商人や農民も情報を豊富に持っていて、なかなか領主の言いなりにならなかったため、富を蓄えるのが難しかったと言えるでしょう。
では、都から遠く離れた地域はどうでしょうか。
越後の上杉謙信や薩摩の島津氏など、遠方にも有力な武将はいましたが、彼らも天下には届きませんでした。
遠方すぎて情報が不足していたこと、また産業が未発達で財力に乏しかったことがその理由としてあげられます。
上杉謙信は軍神と称されるほどの戦術家でしたが、財力の不足からくる兵站の限界がありました。
島津氏も独自の戦術で有名でしたが、地理的に孤立していたために情報網が脆弱でした。