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「ハレ」と「ケ」の語源や違いとは?日本古来からつづく「日常」と「非日常」という観念

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一方、「ケ」とは、普段の生活そのものを指します。

学校に通ったり、家で勉強をしたり、友達と遊んだりする、いつもの毎日のことです。ただ、生活の中でうまくいかないことが起きた時、たとえば病気になったり、悲しいことがあったりすると、それを「ケガレ」と呼びました。

「ケガレ」とは、心や体が元気でない状態のことで、昔の人たちは、それをお祓いなどで清めて元の生活に戻すようにしていました。

この「ハレ」と「ケ」を大事にすることで、昔の人たちは生活にメリハリをつけていました。普段の「ケ」の生活をしっかり送りつつ、時々「ハレ」の特別な日を迎えることで、楽しみや元気を取り戻していたのです。

1603年頃にイエズス会が作った『日葡辞書』には、「ハレ」は「Fare」と表記され、「表立ったこと、人々が集まる所」と説明され、「ケ」は「Qe」と書かれ、「普通の、日常のもの」とされています。

これを見ても、昔の日本人が「ハレ」と「ケ」をはっきりと区別していたことがわかります。

今では、「ハレ」と「ケ」という言葉を使うことは少なくなりましたが、「晴れ舞台」や「晴れ着」などの言葉には、この考え方が残っています。

例えば、大切な行事や発表会で特別な服を着たり、頑張った成果を見せる場面を「晴れ舞台」と呼ぶのも、「ハレ」の特別さを表しているのです。

こうした「ハレ」と「ケ」の考え方は、普段と特別をしっかり区別し、日常生活にけじめをつけるためのものでした。

現在ではこの区別が薄れてきたとはいえ、特別な日を大切にする気持ちは、今も私たちの中に息づいているのではないでしょうか。

「ハレ」と「ケ」を意識することで、毎日の生活に新たな意味や楽しさを見つけられるかもしれませんね。

参考

  • 桜井徳太郎ほか『共同討議 ハレ・ケ・ケガレ』(1984 青土社)
  • 桜井徳太郎『結衆の原点―共同体の崩壊と再生』(1985 弘文堂)
  • 新谷尚紀『ケガレからカミへ』(1987 木耳社)
  • 波平恵美子『ケガレの構造』(1984 青土社)
  • 宮田登『ケガレの民俗誌―差別の文化的要因』(1996 人文書院)
  • 柳田國男『明治大正史 世相篇』(1993 講談社)
 

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