もう我慢できない!未亡人となった兄嫁に猛烈アタックしてしまった平安貴族・藤原惟貞のエピソード【光る君へ 外伝】:2ページ目
三度にわたるアプローチ
さて。兄を喪ってほどない長和4年(1015年)4月、内裏を退出した高子が帰宅のため牛車で鷹司小路と高倉小路のあたりにさしかかりました。
すると惟貞はこれを襲撃、たちまち牛車へ乗り込んで高子に暴行を加えます。
こんな事をすればただで済むはずもありません。惟貞はたちまち捕らわれ、道長の前に引き出されたのでした。
「そなたは極めて不都合な者である。先刻も彼女の家に押し入ったばかりか、こたび暴行に及ぶとは、はなはだ不当である」
※藤原道長『御堂関白記』より意訳。
なんと今回が初めてではなく、前から高子をつけ狙っていたというのです。
果たして道長は惟貞を土御門第の門前に晒しものとしました。惟貞は道行く人々から嘲笑を浴びたことでしょう。
しかし婦女暴行犯に対する罰としては非常に軽く、これが見せしめになるかと言えば微妙なところ。
おまけにあろうことか、道長は惟貞をすぐに釈放してしまいました。もはや罰する気がないのではないかと疑わしくなってしまいますね。
「やれやれ、えらい目に遭うたわい」
自由を取り戻した惟貞は、そのまままっすぐ高子の家へ。そして誰にも邪魔されず、逢瀬を楽しんだということです。
まさに三度目(それ以上?)の正直だったのかも知れません。