【光る君へ】藤原道長の家司を務めた藤原惟風とはどんな人物?その生涯をたどる:2ページ目
妻の伝手で目ざましい出世を遂げるが……。
いっぽう妻の高子は藤原妍子(けんし/きよこ。道長次女)の乳母となっており、妍子が居貞親王(いやさだ。のち三条天皇)に入内すると、次第に夫(乳父)である惟風も地位が向上していきます。
寛弘8年(1011年)に三条天皇が即位し、翌寛弘9年(1012年)に妍子が三条天皇の中宮に冊立されると、惟風は中宮亮(ちゅうぐうのすけ)を務め、その子女らは内裏を取り仕切るようになっていきました。
惟風らの栄華は目ざましいもので、時には主君である道長さえも奇怪に思うほどであったと言います。
長和2年(1013年)には従四位上に昇った惟風ですが、長和3年(1014年)ごろに卒去してしまいました。
その死因について詳しくは語られていませんが、もしかしたら三条天皇派に寝返ってしまった惟風を危険視した道長によって粛清されたのかも知れませんね。