どう見ても”使えない”!実用性に乏しい「縄文土器」はなぜ作られていたのか?
実用性に乏しい食器!?
縄文土器といえば、複雑な文様が施され、手の込んだ造りになっている土器をイメージする人が多いことでしょう。
実際、博物館に陳列されている縄文土器には大きな取っ手のついた土器や、コップを二つくっつけたような双口の土器、口辺部に人面をつけた土器、さらに、赤色の顔料や漆で美しく彩色した土器など、手の込んだ精製土器がたくさん存在します。
しかし、縄文時代の土器が、すべてこのような精製土器だったわけではありません。むしろ、多くは簡単な構造の粗製土器だったと考えられています。
そもそも、あのような複雑な構造の土器は実用性に乏しいものです。
当たり前の話ですが、本来の土器の用途は、食べ物を調理したり、液体を入れておいたり、ものを保管しておくことにあります。そうしたものはシンプルなデザインの方が使いやすいものです。
現在の調理器具のことを考えてもわかるように、装飾が施されているものは、道具としてはかえって使いにくいことが多いでしょう。そうしたものは鑑賞用だったりするものです。
有名な火焔型土器も、どう考えてもあれは調理などの日常生活で使える代物ではありません。
実際、縄文時代に作られた土器も、当初は、あっさりした形の砲弾形の深鉢が中心でした。
そうした単純なデザインの土器はその後もずっと作り続けられていきますが、一方、縄文時代前期を過ぎた頃になると、最初に挙げたような複雑な形の土器も作られるようになっていきました。
なぜ、時代が下っていったところでそのような現象が起きたのでしょうか?
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