悪党に甘すぎる藤原彰子!?平安時代の強盗殺人犯に彰子が下した刑罰は……【光る君へ 後伝】:2ページ目
藤原彰子からの命令
「拷問を禁ずるとは、一体いかなることか!」
いきなり下された命令に、獄吏(牢屋の役人)らは戸惑うばかり。拷問にかけなかったら、誰が本当のことなど自白するでしょうか。
「そうは言われても、太皇太后陛下の仰せであるから、仕方あるまい」
太皇太后(たいこうたいごう)とは先々代の皇后陛下を指します。ここでは藤原彰子(しょうし/一条天皇皇后)のことでした。
いくら小藤太が重罪人であっても、彰子が直々に禁じるならば、あえて拷問にかけることはできません。
仕方がないので、獄吏らは小藤太に優しく尋ねたことでしょう。
「なぁ小藤太、仲間はどこに逃げたんだい?」
「さぁねぇ~北の方角、いや南だったかな?」
マコトかウソかも分からない自白を聞き取りながら、獄吏らは頭を抱えたことと思われます。
そして事件は有耶無耶に
やがて関白・藤原頼通から遣いが来て、小藤太の処遇について指示があったそうです。
指示の内容に関する記録は現存しないものの、恐らくは放免かごく軽い刑罰が言い渡されたのではないでしょうか。
結局は有耶無耶になってしまった淀川尻の強盗殺人事件。
それにしても、なぜ彰子はこんなに甘い処分をしたのか、不思議でなりません。
ちなみに高田牧は藤原実資ら小野宮家の所領でした。
もしかしたら、彰子は実家のライバルであった彼らにダメージを与えた小藤太らを保護したかったのかも知れません。
もともと道長・頼通政権は犯罪者に対して甘い対応をとることが多かったため、小藤太は命拾いしたようです。
その一方で、殺された下人の無念はいかばかりでしょうか。
事件の顛末を『小右記』に記した実資は、怒りのあまり詳しい内容まで書き残せなかったのかも知れませんね。