幕末、ペリー提督が率いる黒船来航の裏側。強姦、発砲、略奪…条約締結の裏で起きた真実
Japaaan読者の皆さんこんにちは、ライターの小山桜子です。1853年7月にペリー提督が浦賀に来航した事は学校でも習う、誰もがご存じの事実。
しかしながらその前後にどこで何をしていたかは、教科書には載っていませんし、ご存知の人は多くはありません。
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実は、ペリー艦隊は、浦賀に寄港する前に自慢の黒船を琉球王国(現在の沖縄県)に停泊させ、日本に迫ったのと同じように琉球にも同様の条約を締結するように迫っていたのです。
飢えた乗組員たち
1853年5月26日(嘉永6年4月19日)、ペリー提督は浦賀に向かう前に薪水の補給を目的としてサスケハナ号を筆頭としたペリー艦隊を率いて那覇港に来航。琉球王府側の入城拒否を無視して6月6日に琉球王国に上陸しました。
各艦長以下随員30人、武装兵百三10人、大砲3門、楽手23人、その他合わせて総員210人が港から上陸し、琉球王国を震憾させました。乗組員全員が食料や酒や女に飢えており、かなり好き放題の行動を始めたからです。
琉球での強姦事件
あまり知られてはいませんが、ウィリアム・ボード事件というのがあります。これは琉球でのペリー艦隊乗組員による最初の強姦事件です。1853年6月12日、黒船艦隊の中の輸送艦レキシントン号の乗組員だったウイリアム・ボード水兵が仲間2人と船を抜け出し那覇の町に上陸。
3人は沖縄の酒泡盛を盗んで飲み、かなり酔っぱらってしまいます。泥酔して寝入った友人2人をよそに、ボード水兵はナイフで沖縄の女性を脅して強姦。被害者はなんと当時54才の女性だったといいます。騒ぎに気付いた村人6人が石を投げつけてボード水兵を追いかけた結果、ボード水兵は誤って海に転落死してしまいました。
これを知ったペリー提督はボードの行いは棚に上げて大激怒。この時にはまだ不平等条約は締結前でしたが、結局事件の顛末としては石を投げた村人たちが流罪に処されました。