実は「独眼竜」ではなかった伊達政宗!なぜ隻眼のヒーローとして知られるようになったのか?:3ページ目
発掘調査の結果は
最初に書いた、政宗が片目を摘出したというエピソードは、これによく似た話が仙台藩の史料にも載っています。
しかし、その真偽の決定打となったのは昭和4年(1974)の発掘調査でした。調査の結果、政宗の頭蓋骨から手術の痕は発見されなかったのです。政宗が病で片目を失明したのは事実であるものの、眼球を失ったわけではないことが今でははっきりしています。
では、本物の政宗はどんな容貌だったのでしょうか。その手がかりは、宮城県の瑞巌寺に保管されている政宗の木像にあります。
政宗の多くの肖像画では、遺言に従って目が黒く描かれているのですが、この瑞巌寺の木像は右目が白く濁っており、生前の姿を最も忠実に再現しているといわれているのです。おそらく、これが政宗本来の容貌なのでしょう。
また、佐竹家などの記録には「(政宗は)白い布で目を覆っていた」とも記されています。来客の前では右目を隠すこともあったのかも知れませんね。
このように見ていくと、「眼帯姿の独眼竜」のイメージは完全に後世の創作であることが分かるでしょう。
娯楽作品では、隻眼や盲目のキャラクターというのはどことなく特別で強そうなイメージがあるものです。また、「独眼竜」という言葉の響きも非常にカッコよく、身もふたもない言い方ですが、カッコよく強そうなこの二つの要素のイメージが効果を発揮し、人々に「独眼竜政宗」のイメージを強く植え付ける結果になったのでしょう。
参考資料:日本史の謎検証委員会・編『図解 最新研究でここまでわかった日本史人物通説のウソ』彩図社・2022年