仕事をしていると、色んなタイプの人と出会います。
人生経験を多少なりとも積み重ねると、何となく「この人はこのタイプだな」とカテゴライズしていることも少なくないでしょう。
そのタイプをいくつに分けるかは人それぞれで、その人がどういう視点で他人を見ているかが分かります。
今回は戦国時代末期から江戸時代初期を生きた佐賀藩主・鍋島勝茂(なべしま かつしげ)のエピソードを紹介。
果たして勝茂は、家臣たちをどのように見定めたのでしょうか。
四通りの奉公人
五○ 勝茂公兼々御意なされ候には、奉公人は四通りあるものなり。急だらり、だらり急、急々、だらりだらりなり。
急々は申し付け候時もよく請け合ひ、事をよく調ふる者にて候。これは上々にはあり兼ぬるものなり。福地吉左衛門などは急々に似たる者なり。
だらり急は、申し付け候時は不弁にて、事を調へ候事は手早くよく埒明かすものなり。中野数馬どもにてあるべし。
急だらりは申し付け候時は成程埒明き候が、事を調ふる事は手間入りて延引する者なり。これは多きものなり。
その外は、皆だらりだらりなりと仰せられ候由。※『葉隠』巻第四