学校では実はもう「大化の改新=645年」とは教えていない!?あの語呂合わせは使えません:2ページ目
「改新」の成果について
乙巳の変が勃発した時の天皇は皇極天皇(中大兄皇子の母)です。退位して軽皇子(皇極天皇の弟)に譲位し、軽皇子が孝徳天皇となりました。 そして都が難波に移されます。
そして646年にいわゆる「改新の詔」が出され、政治の方針が示されました。ここからを大化の改新と現在では説明するようになっているのです。
さてその「大化の改新」の具体的な内容ですが、今までは「日本」が国号となったこと、「天皇」という称号が正式なものになったこと、「大化」が日本で初めての元号となったことなどが挙げられてきました。
ところが、これらも最近ではちょっと怪しいとされています。
まず大化の改新という表現は、7世紀の政変から始まる改革を振り返って呼称した、『日本書紀』上の名称です。その振り返りが行われたのは8世紀になってからでした。
つまり、改革が行われた7世紀当時、一連の改革が大化の改新と呼ばれていたかどうかは定かではありません。
また、日本がいつから「日本」となったのかは諸説あります。
日本が国号となった時期については概ね二つの考え方があり、一つは天武天皇の時代(673~686年)、もう一つは大宝律令制定(701(大宝元)年)以後というものです。
いずれにせよ、ムシゴロシよりだいぶ後のことですね。