「弥生時代」は何百年もかけて完成した文化だった! 〜 変わり続ける縄文時代と弥生時代の境界線:2ページ目
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じわじわ浸透した「弥生文化」
最近の一部の教科書では、もともとの紀元前3世紀説や上記の紀元前10世紀説をあわせて紹介しつつ、「800年かけて日本列島に広がっていった」つまり「九州から漸進的に弥生時代が広がっていった」という部分を強調するようになっています。
稲作は瀬戸内周辺に広がるまで200年、近畿地方までで300年~400年、中部地方には500年、関東地方には600~700年、そして東北地方には800年かかったというのです。
現在では「稲作伝来イコール弥生時代のスタートである」とは説明せず、九州北部から東へと順に弥生時代に変わっていった、と説明するようになっています。
今までの歴史教育では、なんとなく稲作が伝来したことで明治維新のように人々の生活環境や社会が一挙にガラリと変わったようなイメージでした。
しかしそれは非常に雑な理解で、稲作はじわじわと日本列島に浸透し、日本列島の「弥生時代」が完成するまでには800年もの時を要したわけです。
言われてみればそれも当然ですね。交通・通信の手段が限られていた時代のことです。稲作のような農耕技術がある日を境に一挙に日本中に広まって、その日から「弥生時代」が始まるなんてありえません。
そもそも青森県の三内丸山遺跡の研究などから、縄文時代にはすでに農耕が始まっていたとも言われており、稲作を受け入れる下地も縄文時代に始まっていたと言えるでしょう。
このように、縄文時代と弥生時代の境界線をしっかり引くのは、現在では難しくなってきているのです。
参考資料:
浮世博史『古代・中世・近世・近代これまでの常識が覆る!日本史の新事実70』2022年、世界文化社
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