長寿を全うした『光る君へ』の主要キャラたち!「源氏物語」完成後の紫式部の消息は?何歳まで生きた?:2ページ目
ぼやく紫式部
紫式部の当時の様子が記されている『紫式部日記』には、この頃の式部の多忙な様子が綴られています。
明けたてば、まづ向かひさぶらひて、色々の紙選り整へて、物語の本とも添へつつ、所々にふみ書き配る。かつは、綴じ集めしたたむるを役にて明かし暮らす。
(夜が明けると中宮様の御前に上がり、いろいろな紙を選び揃えて、物語の原稿を添えて、あちこちに書写 〈清書〉を依頼する文を書いて配る。その一方で、清書された分を綴じ集めて整えることを役目に、一日中作業を続けた)
その様子を見た藤原道長は「子持ちの中宮が寒い中、なぜこんな仕事をされるのか」とぶつぶつ言いながらも、上質の紙や筆、墨や現などを提供したと書かれています。なんだか微笑ましいですね。
また、その一方で道長は、式部が実家から取り寄せてしまっておいた『源氏物語』の草稿を、式部の留守中に無断で持ち出し、中宮の妹である妍子に与えてしまいました。それを知った式部は、
よろしう書きかへたりしはみなひき失ひて、心もとなき名をぞとりはべりけむかし
(まずまずに書き直したものは分散し、草稿はこうして伝わってしまったのだから、残念な評価を受けるのでしょう)
とぼやいています。
この時の冊子作りは規模が大きく、一条天皇への手土産であったことなどから、『源氏物語』の主人公である光源氏の生涯、幻巻までを含む四十一帖一揃いだったかと思われます。