紫式部の父・藤原為時とも交流を?平安時代に大陸から渡来した商人・朱仁聡とは【光る君へ】:2ページ目
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記録された二度のトラブル
さて、しばらく越前にとどまった朱仁聡。しかし長徳3年(997年)10月28日に若狭国で暴力事件を起こしたそうです。
何でも若狭守である源兼澄(みなもとの かねずみ)に対して凌轢(りょうれき。暴行)を働いたのだとか。
翌11月11日に取り調べを受けたのですが、厳刑に処された様子はありません。外国人と事を荒立てたくない当局の忖度かも知れません。
また、長保2年(1000年)には越前国へ献上した雑物の代金未払いで訴訟を起こしています。
当時は献上品を買い取る制度があったのでしょうか。現代的な感覚だと不思議ですね。
これに対して、一条天皇の皇后・藤原定子から対処するよう同年8月24日付で指示があったといいます。
朝廷の耳に入るほど大事(おおごと)だったとは、朱仁聡がよほどの大人物だったのか、あるいは要注意人物だったのでしょうか。
以降の動静について、詳しいことは分かっていません。大陸に帰ったのか、それとも日本の地でなくなったのか。あるいは、大海原へ雄飛したのかも知れませんね(海の藻屑になってなけりゃいいけど……)。
終わりに
以上、平安時代に大陸から渡来した宋の商人・朱仁聡について紹介してきました。
果たしてNHK大河ドラマ「光る君へ」には、彼が登場するのでしょうか。登場するならどんな活躍を見せてくれるのか、楽しみですね!
※参考文献:
- 章輝玉ら『浄土仏教の思想 第6巻』講談社、1992年7月
- 岡本梨奈『面白すぎて誰かに話したくなる紫式部日記』リベラル新書、2023年11月
- 福井県 編『福井県史 年表』福井県、1998年1月
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