戦国時代になんとハーフの武将がいた!その風貌から「人鬼」と恐れられた戦国武将・和仁親宗と一族の悲劇
意外なことに戦国時代の武将の中には、母親が外国人の戦国武将がいました。その人物は和仁親宗(わに-ちかむね)。
あまりの日本人離れした風貌から「人鬼」と恐れられていたそうです。また、その一族も悲劇的な最後を迎えておりました。
今回は、和仁親宗の生い立ちと人鬼と呼ばれた理由の他に和仁一族の悲劇的な最後も合わせてご紹介します。
和珥氏末裔の一族・和仁氏
和仁氏は5世紀ごろに奈良盆地東北部に勢力を有していた和珥氏の末裔とされる肥後国(現在の熊本県)の国人で、当初は肥後菊池氏に仕えていました。
菊池氏本家の菊池政隆が国人衆の謀反により自害すると、大友氏や阿蘇氏が家督を横取りするようになります。
そして、菊池義武を最後に肥後菊池氏は滅亡。義武が大友氏出身だったこともあり、以後和仁氏は大友氏に従属することになります。
父がオランダ人と子を成す
大友氏の当主が大友宗麟だったころ、宴会の席で親宗の父・和仁親続はポルトガル人から与えられたオランダ人を宗麟からもらい受けました。
宗麟から子どもを作るよう勧められたこともあり、親続はオランダ人との間で子を成します。こうして、ハーフの戦国武将・和仁親宗が誕生しました。
親宗の母は「南蛮様」と呼ばれ、丁重に扱われましたが、慣れない環境と気候により親宗が幼少期に病死してしまいます。
亡くなる前に「オランダに繋がる海が見えるよう高い場所に埋めてほしい」と遺言を残したことから和仁氏の居城・田中城近くの山に埋葬しました。
そして、その場所は南蛮毛と呼ばれ、現在も上和仁(熊本県玉名郡和水町)にその名が残っています。