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原因はクーデター…紫式部(まひろ)の父・藤原為時の短すぎる栄華と権力争いに巻き込まれた悲劇【後編】

原因はクーデター…紫式部(まひろ)の父・藤原為時の短すぎる栄華と権力争いに巻き込まれた悲劇【後編】:3ページ目

側近たちの失脚

さて、このクーデターによって藤原兼家はめでたく天皇の外戚としてのポジションを手に入れます。

彼は、まだ幼い一条天皇のかわりに政治を行う摂政に就任しました。

そして、冷泉天皇に嫁がせていた長女・超子の子である居貞を一条天皇の皇太子とします。それに加えて、クーデターの実行犯である自分の息子たち(道隆・道綱・道兼)と、それに藤原道長をどんどん出世させました。

花山天皇がその地位を追われたことで、側近として仕えていた人たちも職を失うことになります。

例えば、花山天皇の叔父であり、実質的に政治を取り仕切っていた藤原義懐は、天皇に続いて出家。母親が天皇の乳母だった藤原惟成も同様で、共に政治の舞台から退いています。

この累は藤原為時にも及びました。彼が当時、式部丞・六位蔵人の地位にあったことは【前編】で説明しましたが、クーデターによって解任されたのです。

そして彼は、その後の10年間は官職に就かないとする散位という状態になったのでした。彼が「我が世の春」を謳歌することができたのは、花山天皇が政治の舞台に立っていたわずか一年十か月ほどの短い期間だったのです。

参考資料:
歴史探求楽会・編『源氏物語と紫式部 ドラマが10倍楽しくなる本』(プレジデント社・2023年)

 

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