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原因はクーデター…紫式部(まひろ)の父・藤原為時の短すぎる栄華と権力争いに巻き込まれた悲劇【後編】

原因はクーデター…紫式部(まひろ)の父・藤原為時の短すぎる栄華と権力争いに巻き込まれた悲劇【後編】:2ページ目

寛和の変

そして、ここからがクーデターです。986年、道兼は「自分も一緒に出家する」と約束して、6月23日の深夜に花山天皇とともに御所を出ました。

行き先は京都山科の元慶寺です。そこで道兼は、天皇が髪を剃ったのを見届けると、「出家前に、父に今の姿を見せてくる」と言ってその場から立ち去りました。

その隙に、兼家は天皇が代々皇位の証として継承していた三種の神器を、自分の孫である懐仁親王のところへ移していたのです。実際には、この神器の移動を行った実行犯は兼家の長男の道隆と次男の道綱でした。

花山天皇も、道兼が一向に戻ってこないことから謀られたことに気付きます。しかし既に剃髪していたので時すでに遅し。その翌日には、兼家は懐仁親王を一条天皇として即位させました。

これが、のちに寛和の変と呼ばれることになる政変の顛末です。ちなみに、この政変のきっかけとなった藤原忯子と花山天皇の熱愛は、『源氏物語』の桐壺帝と桐壺更衣の関係のモデルとされています。

3ページ目 側近たちの失脚

 

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