パロディ系もイケます!江戸時代の狂歌三大家のひとり、狂歌師・大田南畝(おおたなんぽ)とは?
みなさんは「大田南畝(おおたなんぽ)」という人物を知っていますか?馴染みのない人物かもしれませんが、江戸・天明期を代表する文人・狂歌師・御家人です。
そこで、今回の記事では、そんな大田南畝の生涯や著作に迫ってみたいと思います。
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下級武士の家に生まれるも、学問の才能を発揮
大田南畝は、1749年(寛延2年)江戸の下級武士の家の嫡男として生まれました。経済的に恵まれていたわけではありませんが、幼いころから学問の才能を発揮。15歳のときには、江戸六歌仙の一人・内山賀邸(後の内山椿軒)のもとで国学・漢学・漢詩・狂詩などを学んでいきます。
19歳のときに、寝惚先生(ねぼけせんせい)という名前で、狂詩を集めた『寝惚先生文集』を刊行しています。これが人気となります。
学問吟味ではトップ合格を果たす
1794年(寛政6年)の学問吟味(江戸幕府の学術試験。朱子学に基づく)では、御目見以下の部門で首席合格を果たしています。晩年は、1823年(文政6年)、登城の道での転倒がもととなり、75歳で亡くなりました。
ちなみに、彼は晩年になっても隠居はせず働き続けています。
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