危険な男に娘はやらん!牧野康成の求婚を拒絶した徳川四天王・酒井忠次。果たして……【どうする家康】:2ページ目
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「左衛門尉よ、話は聞いたぞ。確かに右馬允は油断がならぬ。しかしなればこそ、そなたの娘を与えてこちらに取り込んでしまおうではないか。右馬允ほど才幹ある勇士が確かな見方となれば、これほど心強いことはなかろう」
言われてみればそれも道理、家康の言葉に従い、忠次は娘を牧野康成へ嫁がせたということです。
終わりに
……酒井左衛門尉忠次の娘姿色すぐれし由聞て。牧野右馬允康成が己が妻にせんと思ひ。風のたよりもて忠次がもとへいひやりけるに。右馬允元来大膽のおのこなれば。忠次が心には。右馬允時の機変に乗じては。叛逆の志あらむもはかりがたしと思ひ。かゝる穏ならぬものに。最愛の娘をあたへんは心ならずとて。其事いなみしよし御聴に入しかば。牧野がごとき才幹あるものに汝が娘をつかはし。後にかれを引付て家臣となしなば。一方の助力ともなりなんと仰ありしかば。忠次も心を決して。つゐに縁辺をむすびしとぞ。(武功實録。)……
※『東照宮御実紀附録』巻二十五
以上、酒井忠次の娘を牧野康成に嫁がせたエピソードでした。
大事な娘を危険な男に嫁がせたくない父親の気持ちは、いつの時代も変わりませんね。
その後、牧野康成は数々の合戦に従軍して武功を重ね、家康・忠次の期待に応えたのでした。
NHK大河ドラマ「どうする家康」には登場しませんでしたが、徳川家臣団にはこういう個性的な武将たちが数多くいたので、他にも改めて紹介したいと思います。
※参考文献:
- 『徳川実紀 第壹編』国立国会図書館デジタルコレクション
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