日露戦争も乗り切った大宰相・桂太郎!その卓越した手腕と悲劇的最期【中編】:3ページ目
「桂園時代」の始まりと終わり
このような西園寺と桂の間でのいわば「政権のキャッチボール」は合計で四回行われました。これは両者の人間的な信頼関係に基づくもので、この四回の政権交代の期間が「桂園時代」と呼ばれます。
さて、第二次桂内閣の期間には伊藤博文が暗殺されて、一気に韓国併合に進みました。閣内では小村寿太郎、平田東助、後藤新平など腕利きの官僚たちが要職に就き、腕を振るっています。そして1911年8月にはまた西園寺に政権を返しました。
第二次桂内閣は三年間続きましたが、この時期は社会不安も大きく大逆事件・南北朝正閏問題などが起きています。危機感を持った桂は、恩賜財団済生会の設立や工場法整備などの社会政策を実行。これは鋭敏に世界的な流れを取り込んだビスマルク的な政策だったと言えるでしょう。
第二次桂内閣の退陣後、桂は内大臣として宮中に入ります。つまり天皇・皇族・皇室に関わる官吏となったわけで、桂が首相になることはもうないと思われましたが、その後の歴史は意外な――桂にとっては不幸な――流れをたどることになります。その経緯について、【後編】で見ていきましょう。
参考資料
八幡和郎『歴代総理の通信簿』2006年、PHP新書
宇治敏彦/編『首相列伝』2001年、東京書籍
サプライズBOOK『総理大臣全62人の評価と功績』2020年