江戸時代の「三大大火」とは?大火は根絶されたのか?今昔火災史を紐解く:2ページ目
「目黒行人坂大火」と「丙寅の大火」
江戸時代の三大大火のふたつめは、明和9年2月29日に発生した「目黒行人坂大火」です。現在の目黒区下目黒1丁目付近にあたる目黒行人坂の大円寺という寺から出火し、麻布から江戸城周辺までの武家屋敷を焼き尽くしました。
原因は寺のお坊さんによる放火で、火災は神田・千住方面にまで拡大し約1万5千人の死者を出しています。
このお坊さんは、『鬼平犯科帳』で名を知られる火付盗賊改役・長谷川平蔵によって捕らえられて、火あぶりの刑となりました。
そして、最後は文化3年・丙寅の年の3月4日に発生した「丙寅の大火」です。これは現在の港区高輪二丁目付近にあたる芝・車町の材木屋付近から出火しました。
炎は折からの激しい南風によって煽られて一気に燃え広がり、京橋・日本橋の大半を焼き尽くしました。そして神田・浅草までも拡大し、最終的には下町530町が焼け野原になっています。
この、丙寅の火災による死者は1,200人に上りました。これを受けて、幕府は焼け出された人たちのために御救小屋(おすくいごや)と呼ばれる施設を建てています。
これは、現代でも災害発生時に設置される仮設住宅のはしりと言えるかも知れません。