江戸の食文化を支えた日本橋の「魚河岸」ってどんなところだったの?:2ページ目
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江戸中期以降には、庶民も魚を食べるように
江戸中期以降からは、漁業と流通が安定したことを受け、庶民も普通に魚を食べるようになっていきました。魚河岸の問屋から仲買、小売りを経由し、庶民のもとへ魚が届けられました。
ちなみに、儒学者の寺門静軒(てらかどせいけん)が天保2(1831)年に書いた『江戸繁昌記』という書物の中には、「鮮魚を嗜(たしな)み、常に言ふ、“三日肉食せざれば、骨皆離る”と」という一文があります。
これは、「3日魚を食べなければ骨がばらばらになる」と口癖のように言っていたという意味で、ここからも江戸の庶民が魚を食べることが普通であったことが見て取れます。
いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。
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