行くのも、帰ってからも大変だった。日本とヨーロッパをつないだ「天正遣欧少年使節」:2ページ目
2ページ目: 1 2
充実のヨーロッパ滞在、しかし帰国すると……
天正遣欧少年使節は、ローマ教皇との謁見も果たし、その他にも多くの王族と交流するなど、充実した時を過ごします。そして、出発してから8年5か月後、日本に帰国します。しかし、彼らを待っていたのはキリシタン迫害の現実でした。
4人のうち、千々石ミゲルは、帰国から10年後に棄教。中浦ジュリアンは国内で20年間宣教活動を行っていましたが、1633年長崎において殉教します。
原マルティノは禁教令によりマカオに脱出し、その後病死。伊東マンショはマカオ留学を経て司祭となりましたが、長崎にて病死しています。
天正遣欧少年使節がもたらしたもの
天正遣欧少年使節は、日本という存在をヨーロッパに知らしめました。また、活版印刷機などの西洋の進んだ技術を持ち帰り、日本に紹介しました。
いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。
ページ: 1 2