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後北条家存続のため家康を頼った!家康の婿・北条氏直が歩んだ30年の生涯【どうする家康】

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小田原征伐勃発

天正18年(1590)、ついに秀吉による小田原征伐が勃発。氏直は戦いに備えて小田原城や支城を修繕や改装を加えました。

しかし、秀吉が率いる大軍に成すすべなく、数々の支城の陥落や小田原城の包囲と四面楚歌となってしまいます。

そして、黒田官兵衛の説得により、7月に降伏。自らの切腹と引き換えに兵たちの助命を乞いました。

秀吉は氏直の潔さと総大将としての姿勢に感心し、家康の婿ということで高野山追放の処分で済まされます

逆に、氏政と氏照は小田原征伐の責任を取るために切腹を命じられました

無念の病死

高野山追放後、氏直は家康を通して秀吉に口利きを依頼します。そして、天正19年(1591)8月には秀吉から関東1万石を与えられ、豊臣の大名として返り咲きます

しかし、それをあざ笑うかのように、11月に氏直は天然痘によって30歳で命を落としました。

氏直死後の後北条家は氏規の子・北条氏盛が氏直の後を継ぎ、河内狭山藩(現在の大阪府大阪狭山市狭山)として幕末まで存続しました

最後に

後北条家の五代目当主として秀吉と戦った氏直。秀吉の実力を知っていたから叔父を上洛させ、戦いを回避しようとした先見の明があったように感じられます。また、家康の婿という立場を大いに利用し、大名として帰り咲いているので、氏直の実力は確かです。

仮に氏直が長生きしていたら、婿ということを利用して徳川の有力な家臣としてそれ相応の地位を得ていたかもしれません。

トップ画像(右):NHK大河ドラマ「どうする家康」公式HPより

 

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