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「朝ドラ らんまん」に登場する早川逸馬のモデル!民権運動に捧げた植木枝盛の生涯 【その2】

「朝ドラらんまん」に登場する早川逸馬のモデル!民権運動に捧げた植木枝盛の生涯【その2】

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「朝ドラ らんまん」に登場する早川逸馬のモデル!民権運動に捧げた植木枝盛の生涯 【その1】

朝ドラらんまんには、主人公・槙野万太郎に関わる人物として「早川逸馬」が登場します。実はこの早川逸馬ですが、モデルが存在していました。早川のモデルとなった植木枝盛(うえきえもり)は、土佐の自由民権運…

板垣退助や自由民権運動との関わり

枝盛が特に感銘を受けたのが、国会開設を求める自由民権運動でした。

明治10年(1877年)、枝盛は土佐の自由民権運動の中心人物・板垣退助と共に帰郷。立志社に参加し、立志社建白書を起草しています。

しかし同年に西南戦争が勃発。同志の一部が挙兵を企てたため、逮捕者が出る事件となりました。

枝盛は逮捕を免れたものの、民権運動との関わりをやめようとはしません。むしろ演説に積極的に出かけるようになっていきます。

翌明治11年(1878年)4月、枝盛は四国と中国地方に遊説に出発。12月には頭山満に招かれ福岡に向かい、向陽義塾の開校式で演説しています。

やがて高知立志社での演説が問題視され、枝盛に演説の禁止処分が下されてしまいました。

しかし解禁後は再び精力的に活動を再開します。

明治14年(1881年)には、最も民主的で急進的な私擬憲法である『東洋大日本国国憲按』の起草に至りました。この草案は、ジョン・ロックの影響を受けたものとされています。

 

2ページ目 植木枝盛は、牧野富太郎と親交があった!?

 

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