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ペリーの来航は予定通り!?黒船&ペリーの来航を最初から知っていた江戸幕府の情報網

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ペリーの来航は「予定通り」

ただ、阿部は、いずれ外国に対して開国することは避けられないと考えていたようです。彼は、1845年にはアメリカ船が日本人の漂流民を救出し、その受け渡しのために外国船が浦賀へ入港できるように説得するなど、鎖国体制にこだわらない柔軟なやり方を採用しています。

またペリーが来航する前から、彼は外交・国防政策を強化しており、開明派の幕臣や大名の意見にも耳を傾ける姿勢を見せていました。

こうした幕府の姿勢に応えて、長崎のオランダ商館も常々アメリカ船の来航に注意するよう幕府に呼びかけていました。なんと、1853年の黒船来航の折には、ペリーの年齢や乗組員の人数まで把握していたと言われています。

実はペリーは浦賀に現れる前の4月19日に琉球王国にも上陸していますが、これも薩摩藩からの報告によって幕府は知っていました。

こうしたことからも、幕府にとってペリー来航は「想定内」どころかもはや「予定通り」に起きた出来事だったことが分かるでしょう。

有力な老中の間では、最初から開国を検討する話になっていましたし、あとは国内世論を調整しながら交渉し、スムーズな条約締結を目指すばかりの状態だったのです。

参考資料
日本史の謎検証委員会『図解 幕末 通説のウソ』2022年

 

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