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徳川家康、食い逃げを追及される!?おいしそうな地名「小豆餅(あずきもち)」の由来にまつわる二つの説を紹介

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三方ヶ原の戦いとの関係

小豆餅という地名の由来について、有名な二つの説をご紹介しましたが、どちらかが本当なのか、その真相ははっきりしていません。

ただ、少なくとも前者の「徳川家康食い逃げ説」は後世の創作の可能性が高いとされています。そもそも三方ヶ原の戦いが起きた時代は、その地域には水源があまりなく、そこで茶店を営業するのは難しかったはずです。

また後者の「戦死者弔い説」も、怪談が交ざっているため、これが本当だと断じるのも難しいと言えるでしょう。

ただ、研究者の間ではこの小豆餅の辺りを三方ヶ原の戦いの主戦場だったと論じる説もあることから、三方ヶ原の戦い戦死者の供養という二つの要素が、地名の由来に関係していることは十分考えられます。

そこで、三方ヶ原の戦いつながりで徳川家康の名前が使われて、愉快なエピソードとして創作されたのかも知れません。そう考えると、むしろ「食い逃げ説」の起源も「戦死者弔い説」にあることになります。

ちなみに、それでは先述した「銭取」という地名は何なんだ、という話になりますが、昔はこの辺りに山賊が出没し、通った人は彼らに銭を取られることからこの地名になったというのが真相のようです。

参考資料
磯田道史『日本史の内幕』2017年・中公新書
『静岡県民も知らない地名の謎』2014年・PHP文庫

 

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