男女の愛憎に満ち満ちた豊臣政権!豊臣秀頼の実父は日本史上屈指のあの美青年なのか?:3ページ目
どさくさに紛れて処刑
ちなみに秀吉は、淀君の懐妊が確定した後、彼女の周辺にいた女中を含む男女たちを大量に処刑しています。理由は彼らが「淫らな男女関係」にあったからとしています。
フロイスの『日本史』によれば、この処刑では三十名が生きたまま火あぶりにされたり斬られたりしたそうです。
歴史学者の磯田道史は、おそらくこの時に、秀頼の実父もどさくさに紛れて殺されたのではないかと述べています。
つまり秀吉は、女中などを含めた男女が乱交したことにして全員処刑し、秀頼が実子ではない可能性について知る者を抹殺したのでしょう。
イギリスの推理小説『ブラウン神父の童心』に収められている短編に、有名な「木の葉を隠すなら森の中に、森がないなら作ればいい」という、有名な格言の原型が登場します。前述の推測が当たっていたとすれば、秀吉はこれをまさに地で行ったと言えるでしょう。
ちなみに名古屋山三郎はこの時に処刑されてはおらず、慶長8年(603年)に仲の悪い譜代を暗殺しようとして失敗し、返り討ちに合う形で死亡しています。