男女の愛憎に満ち満ちた豊臣政権!豊臣秀頼の実父は日本史上屈指のあの美青年なのか?:2ページ目
愛憎渦巻きすぎの豊臣政権
いずれにせよ、名古屋山三郎が秀吉の側室と密通していたというだけでもなかなかのスキャンダルなのですが、このこと自体はさほど意外ではありません。
火のないところに煙は立たないと言いますが、豊臣政権の内部には、こうしたスキャンダルや、秀頼の実父についての醜聞が発生するだけの理由があったのです。
その理由とは、簡単にまとめれば豊臣秀吉は大変な女好きだったこと、一方で側室の女性たちから恨みを買いやすい立場だったこと、しかし秀吉にはいわゆる「子種」がなかったらしいこと、の三つに絞られます。
秀吉の女好きについてはよく知られたところです。二つめの「女性から恨みを買いやすかった」というのは、側室も含め、秀吉の周囲には彼に肉親を殺された者が多くいたということです。
もちろん淀君がそうですし、先の京極竜子もそうでした。彼女たちには、秀吉を裏切る動機があったと言えるでしょう。
だいたい淀君が懐妊したのは、秀吉が朝鮮出兵のために大坂城を出ていた最中でした。その上に、そもそも秀吉は子種がないと言われていたのですから、スキャンダルや噂話が湧いてくるのも当然と言えるでしょう。
ちなみにかのルイス・フロイスも、秀頼は秀吉の子ではないだろうと確信しています。