戦国時代に幕を引いたのは豊臣か徳川か…決定的な「乱世の終わり」はいつだったかを考察:2ページ目
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戦国時代の気風の残滓
しかし、豊臣氏が滅亡してからも、乱世の名残はくすぶり続けました。
例えば、戦国時代の気風を残す大名たちが統治者として各地に派遣され、慣れない統治を任されたことで領民に負担がかかった事例は数多くあります。その結果として1637年に発生したのが、徳川時代最大の内乱と言われる島原の乱です。
また、幕府もそうした戦国気質の大名たちを徹底的に統制しました。彼らが反乱を起こさないように勢力を削り、時に言いがかりとしか思えないような難癖をつけて改易や減封を行っています。
ところが、今度は統制が厳しすぎて、武士の身分を失ってしまった牢人たちが幕府転覆を企んだ慶安の変が発生。さすがの幕府も統制をゆるめ、四代将軍・家綱の時代には末期養子の禁について緩和するなどして、牢人が発生するのを防止する策を採るようになりました。
こうして見ていくと、戦国時代の気風とその余波は、元禄時代あたりまでは根強く残っており、幕府もルールの運用に頭を悩ませていたことが分かります。
年表の上では、戦国時代は終わったといっても、いわゆる乱世の空気を完全に払拭するまでには長い時間がかかっていたことが理解できるでしょう。
参考資料
『オールカラー図解 流れがわかる戦国史』かみゆ歴史編集部・2022年
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