豊臣秀吉による「太閤検地」の歴史的意義は?荘園制度の解体から身分制度の確立まで【後編】
【前編】では、豊臣秀吉による太閤検地のどのような点が画期的だったのかを解説しました。
豊臣秀吉による「太閤検地」の歴史的意義は?荘園制度の解体から身分制度の確立まで【前編】
「検地」の意義小学校の教科書で「豊臣秀吉は検地・刀狩りを行った」と、ざっくり教わったことを覚えている人も多いでしょう。このうち、刀狩りは「武装解除」として考えるとすぐに理解できますが、一方…
【後編】では、太閤検地がもたらした影響や、検地以外に秀吉が行った政策について見ていきましょう。
太閤検地の影響①一地一作制度
秀吉は太閤検地を実施するのとあわせて、一地一作人制度を確立しました。これは、前編でも説明したような、荘園制度の名残で土地の所有者がはっきりしない状況の改善をはかったものです。
この制度によって、土地一区画における耕作者を一人の農民に決めて、従来の複雑怪奇な土地の権利関係を整理。そうして行われた内容が検地帳に記されて秀吉へ提出されたことで、年貢のいわば中間搾取が不可能となったのです。
これだけを見ていくと、太閤検地はただ単に土地の所有関係を整理して、年貢を取り立てやすくしただけに思われるかも知れません。しかしこれは他の制度にも大きな影響を与えました。
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