夫の祖父との間に子供!?その美貌ゆえ色恋の噂が絶えなかった皇后・藤原璋子(ふじわらのしょうし)とは?
「見た目が良ければ人生は楽しいだろうな」と思ったことがある方も多いのではないでしょうか。確かに美貌を武器に上手く世渡りをしている人もいますが、実は美人ゆえに自身も周囲も大変だった人物が平安時代にいます。
彼女の名前は、藤原璋子(ふじわらのしょうし・たまこ)。女院号の「待賢門院(たいけんもんいん)」の名前を聞いたことがあるかもしれません。
今回は、そんな藤原璋子の波乱の人生をご紹介していきたいと思います!
幼いころから美しく自由奔放
藤原璋子は、平安時代の康和3年(1101年)、権大納言・藤原公実と藤原光子の娘として生まれました。7歳のときに父を亡くすと、白河法皇とその寵姫・祇園女御の養女として引き取られました。
とても美しい少女だったようで、永久3年(1115年)ごろには、摂関家の嫡男・藤原忠通との縁談が。しかし、璋子の素行に悪い噂があり、藤原忠通の父が縁談を断ってしまいます。藤原忠通の父はこのことにより、白河法皇の不興を買ったとされています。
白河法皇と男女の仲になっている!?
藤原璋子はその後、白河法王の孫である鳥羽天皇に入内します。天皇とのあいだには5男2女の子宝に恵まれますが、彼女にはとある噂が。それが、入内前から白河法王と男女の仲だったというもの。
実は先ほどご紹介した、藤原忠通の父が縁談を断った本当の理由も、璋子と白河法王の関係が公然の秘密だったからではないかとされています。
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