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夫の祖父との間に子供!?その美貌ゆえ色恋の噂が絶えなかった皇后・藤原璋子(ふじわらのしょうし)とは?

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生まれたのは、白河法王とのあいだの子ども!?

上記のとおり、藤原璋子と鳥羽天皇のあいだには7人の子どもがいます。しかし、元永2年(1119年)に誕生した第一皇子・顕仁親王(後の崇徳天皇)について、鳥羽天皇は璋子と白河法王(彼の祖父)とのあいだの子どもだと疑い、「叔父子(おじこ:祖父の子)」と呼んだとか。

その後、白河法王が亡くなり、鳥羽上皇が院政を行うようになると、彼は璋子よりも若い側妃の藤原得子を寵愛。次第に藤原璋子の居場所はなくなっていきました。

西行出家の原因となる!?

宮中内だけでなく、歌人の西行(当時は「佐藤義清(さとうのりきよ)」という武士)までをも魅了したと言われる藤原璋子。二人は一度だけの関係を持ったとの逸話も残っています。

残念ながら天と地ほどもの格差がある二人。かなわぬ恋に苦しみ、自分の想いを断ち切るために出家し西行となったとも言われています。

その後、藤原璋子は久安元年(1145年)に亡くなっています。

いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。

 

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