楽市令(楽市・楽座)とは
織田信長が経済を重視していたことは有名ですが、それを最も如実に示しているのが、有名な楽市令(楽市・楽座)です。
彼が経済を重視したのは、経済が活性化すれば武器や兵を調達するのが簡単になると考えたからです。
そもそも、信長が息子に家督を譲った後で琵琶湖東岸に安土城を築いてそこを居城としたのも、琵琶湖の水運を活かした移動や輸送がしやすい点に目を付けたからでした。
さて、信長による楽市令ですが、1567年には美濃の加納へ、そして1577年には安土に発布しています。それに加えて、関所の撤廃を進めることで人の往来を自由にし、道路を整備することで物品の輸送力の強化もはかりました。
全ては自分の支配域の経済発展のためです。もともと楽市令の「楽」とは、規制を緩和して自由になるという意味のもので、誰でも商売を自由にできるようにするのがこの政策の目的でした。