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源頼朝の寵愛を受けるも、北条政子を恐れて……大進局(だいしんのつぼね)が歩んだ人生とは?

源頼朝の寵愛を受けるも、北条政子を恐れて……大進局(だいしんのつぼね)が歩んだ人生とは?

北条政子は「はなはだ不快」と激怒

大進局の出産により、頼朝との仲が北条政子の知られるところとなりました。政子は「はなはだ不快」とし、本来行われるはずの出産の儀式をすべて省略。

それでも政子の怒りが収まらなかったことから、頼朝は大進局に京から近い伊勢の所領を与え、上洛を促します。

貞暁は仁和寺へ

貞暁は仁和寺に入れられ、法眼隆暁の弟子となりました。出家後は一切政治にはかかわらなかったといいます。その後、46歳で母の大進局に先立って死去。大進局は当時出家して禅尼となっていましたが、息子の死を深く嘆いたとされています。

大進局は源行家の子・行寛法印のサポートを受けて、摂津で余生を送りました。

いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。

 

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