なんと美しい!優雅な物腰とその美貌から”鹿鳴館の華”と呼ばれた岩倉具視の娘・戸田極子:2ページ目
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ウィーンに移り住む
才色兼備な極子は、伊藤博文が自身で主催した大がかりな仮面舞踏会で伊藤に関係を言い寄られ、スキャンダルになったとか(後の創作とも言われるこの話の真偽は不明です)。
1887年(明治20年)には、夫がオーストリア=ハンガリー全権公使に任命され、一家でウィーンに移り住みます。このとき、作曲家のブラームスと交流し、ブラームスは極子の弾く箏曲を聞いたのではないかと言われています。
その後、1890年(明治23年)に日本に帰国します。
晩年は、早くに亡くなった娘の子どもを引き取り養育しています。そして、1936年(昭和11年)、夫の死から1か月経たないうちに亡くなりました。
いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。
画像出典:Tokyo Museum Collection(画像1,画像2)
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