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やはり武田家の歩き巫女だった!望月千代のモデルとされる「望月千代女」を紹介【どうする家康】

やはり武田家の歩き巫女だった!望月千代のモデルとされる「望月千代女」を紹介【どうする家康】:2ページ目

望月千代女について

望月千代女は、武田家家臣の望月盛時の妻として知られています。

盛時は永禄4年(1561)の第四次川中島の戦いで、上杉軍の簗田外記との戦った末に戦死。未亡人となった千代女は、信玄から甲斐信濃二国の神女頭に任命されました

そして、信濃国にある祢津村で訓練場を建築し、歩き巫女の育成を始めます。

各地から集められた8歳から16歳の美しい少女をスカウトし、歩き巫女として育成。3年から5年程度で一人前の歩き巫女となり、情報収集や諜報活動に向かわせます。

時には、色気を使った情報収集を行ったとされていますが、定かではありません。

望月千代女は実は忍者だった!?

千代女のいる望月家は甲賀五十三家と呼ばれる甲賀忍者の家の出。そのため、千代女はくノ一と言われているだけでなく、歩き巫女たちもくノ一だったのではないかと言われています。

望月千代の暗躍やいかに!

歩き巫女として情報収集に回った望月千代女たち。劇中でもそれは再現されており、複数の歩き巫女と道中を歩いていたことが見て取れます。

今後の『どうする家康』は武田家との戦が待っているので、望月千代がどのように暗躍していくのか楽しみです。もしかしたら、くノ一の設定を劇中で採用し、望月千代対女大鼠の忍者対決もあるかもしれませんね。

 

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