日本史上稀な「甲相駿三国同盟」はなぜ結ばれた?三人の名将たちのそれぞれの思惑とは
甲相駿三国同盟
戦国時代、甲斐国の武田信玄と相模の北条氏康、それに駿河の今川義元の三氏が結んだ、通称「甲相駿(こうそうすん)三国同盟」がありました。なぜこのような同盟が結ばれたのか、その効果はどのようなものだったのかを検証してみましょう。
16世紀半ばの上記三者は、それぞれ領国内を統一へと導いた大変大きな存在でした。しかし戦国時代の常で、彼らはそれぞれ難敵と睨み合っていました。このことが、日本史上でも珍しい三国同盟を生み出す原因になったのです。
もともと、武田・今川の両者は最初から良好な関係にありました。1536年には今川義元の仲介で、公家である三条公頼の娘・三条の方が武田信玄の継室に嫁いでいますし、翌年の1537年には信玄の姉である定恵院殿が今川義元に嫁いでいます。
さらに武田信玄にとっては、信濃へ本格的に侵攻するためには、自分の背後に控えている北条氏と同盟を結んでおく必要があったのです。
北条は、今川とは最初から密接な関係でした。北条早雲の姉妹である北川殿は今川義忠(義元の祖父)に嫁いでいますし、その子である今川氏親の娘(瑞渓院殿)は北条氏康に嫁いで氏政を産んでいます。
ただその後、両氏は国境に関するゴタゴタが原因で、一時的ではありますが関係が悪化していました。
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