街全体が城郭だった「鎌倉」。その重要な防御施設「鎌倉七切り通し」を紹介:3ページ目
鶴岡八幡宮の裏手にある「巨福呂(小袋)坂」
鶴岡八幡宮の裏参道から西の方角へ向かう道。北条泰時が建長2年(1250)に整備し、鎌倉と北鎌倉が結ばれました。12 基の庚申塔や道祖神などから、江戸時代の末期に改修工事が行われたことがわかり、工事中の事故で命を落とした人々を供養する道造供養塔も残ります。
鎌倉と三浦の境界だった「名越切通し」
鎌倉から三浦へ通じる道。文献の上で初めて「名越坂」の文字が確認されるのは『吾妻鏡』の天福元年(1233)のことで、鎌倉と三浦の境界をなした切通しです。現在は、鎌倉市と逗子市の境になっていて、名越トンネルの上に、かつての切通しの面影が残っています。
今も鎌倉時代さながらの雰囲気を残す「鎌倉七切り通し」。史跡散策やハイキングとして訪ねてみてはいかがでしょうか。
ただし、足場が悪いところもありますので、訪問の際はスニーカーなどある程度の山歩きができる靴を履いていくことをおすすめします。