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北条義時の隠し子?それとも…『吾妻鏡』には登場しない3人の息子たち【鎌倉殿の13人 外伝】

北条義時の隠し子?それとも…『吾妻鏡』には登場しない3人の息子たち【鎌倉殿の13人 外伝】

北条時経

生没年不詳
母親:不明(伊賀局か)
通称:小四郎

『系図纂要』によると情報はこれだけ(通称のみ)。四郎政村のすぐ下だから小四郎なのでしょうか。もしかしたら政村とほぼ同時期に元服したから四郎・小四郎と割り振ったのかも知れませんね。

四郎および小四郎の通称は北条時政(ときまさ)以前から先祖代々受け継いできたもの(≒嫡流の証?)なので、小四郎も恐らく側室の子ではない=母親は政村と同じ伊賀局(伊賀氏、伊賀方)と考えられます。

【北条氏略系図】

……時方(北条四郎)―時家(北条四郎大夫)―時政(北条四郎大夫)―義時(江間小四郎)―政村(相模四郎)・時経(小四郎)

※『系図纂要』より

しかし、そうだとすると『吾妻鏡』に書かれていないのは不自然ではないでしょうか。

天晴。今日入夜。相州鍾愛若公〔九才。當腹〕於御所元服之儀。三浦左衛門尉義村爲加冠也。号四郎政村云々。

【意訳】晴れ。夜になって義時が特に可愛がっている若君(9歳、正室の子)が御所で元服された。烏帽子親は三浦義村(みうら よしむら)、名を北条四郎政村としたそうな。

※『吾妻鏡』建保元年(1213年)12月28日条

もしかしたら、時経は義時からあまり可愛がられておらず、ひっそりと元服したのかも知れません。時は北条一族の通字、経の字は誰からもらったのでしょうね。

3ページ目 北条尚村、北条時尚について

 

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