『吾妻鏡』が伝える源頼朝のエピソード「歯痛のツラさはみな同じ」【鎌倉殿の13人 外伝】
歯が痛いのって、辛いですよね。治療に行くのは億劫だし、おカネも時間もかかります。
そんな歯痛の悩みはいつの時代も、どんな身分でも変わらないもの。庶民だろうが天下人だろうが、痛い時は痛いのです。
今回は歯痛に悩まされた一人、源頼朝(みなもとの よりとも)のエピソードを紹介。果たして鎌倉殿の歯は治ったのでしょうか。
歯痛に悩む鎌倉殿・頼朝48歳
それでは鎌倉幕府の公式記録『吾妻鏡』をひもといていきましょう。頼朝が歯痛を訴えたのは48歳となった建久5年(1194年)。
将軍家聊御不例。御齒勞云々。依之雜色上洛。被尋良藥云々。
※『吾妻鏡』建久5年(1194年)8月22日条
【読み下し】将軍家、いささか御不例。御歯の労りとうんぬん。これにより雑色、上洛す。良薬を尋ねらるとうんぬん。
【意訳】頼朝は少し具合が悪い。歯痛とのこと。なので雑色を京都へ派遣、良い薬を求めさせたのだとか。
当時は歯科治療の薬(恐らく鎮痛薬)があったこと、しかしそれは京都まで行かないと入手できなかった事情が察せられます。
「急ぎ取り寄せよ!」
「ははあ」
果たしてどんな薬が手に入ったのか、ひとまず頼朝の歯痛は収まったようです。しかし翌月、歯痛が再発してしまいました。
齒御勞再發云々。
※『吾妻鏡』建久5年(1194年)9月22日条
【読み下し】歯の御労り、再発とうんぬん。
【意訳】歯痛が再発したそうな。
(※主語がないものの、わざわざ労りに「御」とつける対象は鎌倉殿=頼朝を措いていないはずです)