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「鎌倉殿の13人」ついに始まる最終決戦“承久の乱”!第47回放送「ある朝敵、ある演説」予習【後編】

「鎌倉殿の13人」ついに始まる最終決戦“承久の乱”!第47回放送「ある朝敵、ある演説」予習【後編】:3ページ目

「みんな聞いて!」政子の演説に、奮い立つ坂東武者たち

……京都でそんな悲劇があって5月19日。鎌倉に光季の悲報を届ける使者が飛び込みます。

「ついに来たか……最も避けたかった形で」

日本の建国(紀元前660年)以来、朝敵となって生き延びた者は未だかつて一人もいません。

「どうする小四郎!よもや一天万乗の君に弓を引くつもりか!」

「いや、これはあくまでも上皇陛下をたぶらかす奸臣どもを討つだけだ!義は我らにあり!」

「そなたは何を申しておるのだ、どんな経緯があろうと、陛下が小四郎を名指しで追討せよと仰せなのだぞ!」

「ではむざむざと膝を屈して、故右大将家のご遺業を無に帰せよと申されるか!」

あぁでもない、こうでもない……鎌倉存亡の危機に直面して、御家人たちの動揺はただならぬものだったはずです。

これを収められるのは、今や尼御台・政子(演:小池栄子)を措いていなかったでしょう。

……皆一心而可奉。是最期詞也。故右大將軍征罸朝敵。草創關東以降。云官位。云俸祿。其恩既高於山岳。深於溟渤。報謝之志淺乎。而今依逆臣之讒。被下非義綸旨。惜名之族。早討取秀康。胤義等。可全三代將軍遺跡。但欲參院中者。只今可申切者……

※『吾妻鏡』承久3年(1221年)5月19日条

「……みな心一つにて奉るべし。これ最期の詞なり。故右大将軍が朝敵を征罰し、関東を草創してこのかた。官位といい俸禄といい、その恩すでに山岳より高く、溟渤(めいぼつ。海)より深し。報謝の志浅からんや……」

【意訳】みんな聞いて、これは私の遺言です。かつて頼朝様が朝敵を滅ぼして鎌倉を拓いたことで、私たちの暮らしは大きく改善されました。覚えていますか?たった数十年前のことを……。

そうだったなぁ。かつて武士は地下人(ぢげにん)などと呼び蔑まれ、まともな人間として扱われることもなく、犬馬がごとく引き働かされた辛い日々。

若い者たちは実感が薄かろうが、今ある鎌倉は天地開闢からあった訳ではない。故右大将家いやさ佐殿の下、身命を擲(なげう)って数々の戦さを駆け抜け、ようやく勝ち取った新天地。

我ら人間ぞ、誇り高き坂東武者(もののふ)ぞ……公家どもが犬働きは、もうたくさんだ!

そうとも、青天白日のもと大手を振って歩き、胸を張って人間らしく生きられる鎌倉を、ゆめ手放してなるものか……古老たちのすすり泣きが聞こえる中、政子の話は続きます。

「……しかるに今、逆臣の讒(ざん)により、義に非ざる綸旨(りんじ)の下さるる。名を惜しむの族(ともがら)は、早く秀康、胤義らを討ち取り、三代将軍の遺跡(ゆいせき)をまっとうすべし。ただし院中に参らんと欲する者は、ただ今申しきるべし……」

【意訳】なのに今、愚か者たちが上皇陛下を惑わして道理の通らぬ命令が出されてしまいました。坂東武者の名誉を忘れていない者は、人間の誇りを失いたくない者は……ただちに藤原ナンチャラと三浦カンチャラを討ち取り、源家三代(頼朝・頼家・実朝)がみんなと作り上げた鎌倉を守るのです!

「……それでも」

なお院(後鳥羽上皇)に味方すると言う者は、今すぐここで宣言しなさい。この年老いた尼を斬り殺し、犬よ地下人よと蔑まれる暮らしへ戻るがよい!

……そこまで言われて「ハイ朝廷にお味方します」と言える坂東武者などいるでしょうか。御家人たちは感涙にむせび、声にならぬ声で気勢を上げたのでした。

4ページ目 尼将軍の演説。実際には安達景盛の代読

 

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