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【承久の乱】あの名演説は政子じゃなかった?『承久軍物語』が伝える別バージョンがこちら【鎌倉殿の13人】

【承久の乱】あの名演説は政子じゃなかった?『承久軍物語』が伝える別バージョンがこちら【鎌倉殿の13人】

慈光寺本『承久記』に見る御家人たちの本音?

……とは言うものの、いくら感激したところで、それだけで勝てるものではありません。

東山道から攻め上る大将となった武田信光(たけだ のぶみつ。武田信義の子)。同じく大将を務める従兄弟の小笠原長清(おがさわら ながきよ)とこんなやりとりをしていました。

……如何有ベキ武田殿。武田返事セラレケルハ、ヤ給ヘ小笠原殿。本ノ儀ゾカシ。鎌倉勝バ鎌倉ニ付ナンズ。京方勝バ京方に付ナンズ。弓箭取身ノ習ゾカシ。小笠原殿トゾ申サレケル。去程ニ、相模守御文カキ、武田・小笠原殿、大井戸・河合渡賜ヒツルモノナラバ、美濃・尾張・甲斐・信濃・常陸・下野六箇國ヲ奉ラント書テ、飛脚ヲゾ付給フ。彼両人是ヲ見テ、サラバ渡セトテ、武田ハ河合を渡シ、小笠原ハ大井戸ヲ渡シケリ……

※慈光寺本『承久記』巻下より

小笠原「どうする、武田殿?」

武田「決まっておる。鎌倉が勝てば鎌倉に味方し、官軍が勝てば官軍に味方する。それが弓箭(弓矢)とる武士の常識であろうが」

やっぱりね。と言ったところでしょうが、そんな利に敏(さと)い東国武者を手懐けるため、北条時房(演:瀬戸康史)が手を打ちます。

時房(書状にて)「ご両名へ。此度の戦さで武功を立てられましたら、美濃・尾張・甲斐・信濃・常陸・下野の六ヶ国を恩賞として約束しましょう!」

武田・小笠原「「よっしゃ、やるぞ!」」

実にちゃっかりと奮起した両将はたちまち敵を突破、大いに武勲を立てたということです。

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