いつか公卿になりたいな♪トキューサ(北条時房)も源実朝におねだりしてみた【鎌倉殿の13人】:2ページ目
【参考・位階の一覧】
正一位
従一位
正二位 ←実朝、源頼朝&源頼家(生涯最高位)
従二位 ←政子(生涯最高位。現時点においては無位)
正三位
従三位
正四位上
正四位下
従四位上
従四位下 ←義時(生涯最高位)
正五位上
正五位下 ←義時
従五位上
従五位下 ←時房、北条時政(生涯最高位)
※六位以下(正六位上~少初位下)は割愛
こうして見ると「トキューサ、全然まだまだじゃん」などと思ってしまいそうですね。しかし当時の貴族(位階を持つ者)においては五位以上と六位以下でその立場は雲泥の差がありました。
例えば、五位以上の者は「殿上人(てんじょうびと)」と呼ばれ、朝廷において天皇陛下のおわす内裏へ上がることが許されます。
(※例外として、皇族のお世話をする蔵人の者などは六位でも内裏へ上がれました。貴族の子弟が出世見習いとして勤めたことが多かったようです)
多くの下級官人たちが生涯をかけて必死に求めながら、その夢敗れ去って掴みえなかった五位の身分。天下草創の大業を扶翼した北条一族なればこそ、時房は40歳という若さでその地位にいられるのでした。
父・北条時政(演:坂東彌十郎)が従五位下に任じられたのは正治2年(1200年)4月1日付。時政は当時すでに還暦を超えています。
当時の常識からすれば「もうこれで十分」と言えますが、人間の欲は尽きないもので、殿上人の次は公卿を目指したい気持ちも解らないではありません。
「う~ん……まぁ、今すぐには難しいよね。でもまぁ、望みはある……かも知れないんじゃない、かな?」
アハハ、ハハ……実朝の乾いた笑い?が目に浮かびます。原文の「当時のことにあらずといえども、ついに空(むな)しかるべからざるの旨」という言い回しが実に絶妙です。
たぶん無理だけど、何とか努力だけは……と「御契約(ここでは約束ていどの意)」してしまいました。義盛の時と言い、ちょっと安請け合いな気がしますね。
終わりに
その後、実朝の力添え?もあってか、時房は建保6年(1218年)に従五位上へ昇進。この調子でどんどん行きたいところですが、翌建保7年(1219年。承久元年)に実朝が暗殺されてしまいました。
結局、時房は嘉禎4年(1238年)に正四位下まで昇ったのが最高位。あと2ランク(正四位上、従三位)というところで三品の夢が潰えます。
でも、時房は義時そして「俺たちの泰時」こと北条泰時(演:坂口健太郎)を支える大活躍でしたし、その位階など誰も気にしていないのではないでしょうか。
人間、身分や肩書よりも能力や実績の方がモノを言います。いよいよ終盤を迎えたNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも、最終回まで活躍が楽しみですね!
※参考文献:
- 五味文彦ら編『現代語訳 吾妻鏡7 頼家と実朝』吉川弘文館、2009年11月
- 五味文彦ら編『現代語訳 吾妻鏡8 承久の乱』吉川弘文館、2010年4月