織田信長の準正室!?「生駒吉乃」という女性が戦国時代にもたらした大きな影響【前編】:2ページ目
2ページ目: 1 2
信長の寵愛を受ける
情報収集を何よりも重視していた織田信長は、生駒氏の財力と情報力に目をつけます。彼は諸国の情報を得るべく何度も足を運んでいました。
そんな中で出会ったのが、後家となっていた吉乃でした。一目惚れした信長は足繁く生駒屋敷を訪れ、やがて側室として彼女を迎え入れることにします。当初は非公式の愛妾という立場だったようです。
吉乃は優しい女性で、戦続きで気の休まる暇もない信長にとって安らげる存在だったらいしく、彼女がいると機嫌が良かったといいます。
信長は生母に疎まれてて育った経験があるので、吉乃の母性が新鮮だったのかも知れません。
信長は、正室の濃姫に隠れて吉乃との密会を繰り返します。清洲城から生駒屋敷までの約10kmの距離を、馬を飛ばして赴いていました。
3人の子を授かり…
そして1557(弘治3)年に信忠、翌1558年(永禄元)年に信雄、さらにその翌年1559(永禄2)年に長女の徳姫と、立て続けに3人の子を授かります。
信長と正室・濃姫の間には子どもがいなかったため、信忠は養子として迎えられ、のちに織田家の家督を継ぐことになります。
また、信雄は北畠家の養子となり、徳姫は徳川家の嫡男・松平信康に嫁ぎました。
このように吉乃は3人の子に恵まれましたが、徳姫を出産した頃から病床に伏すことが多くなります。しかし、信長に心配をかけまいと秘密にしていたため、信長は気付かなかったようです。
ページ: 1 2